大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和57年(オ)1391号 判決 1983年3月31日

上告人

高比良恵司

右訴訟代理人

塩塚節夫

被上告人

大山秀義

被上告人

長崎生コンクリート株式会社

右代表者

中川舛男

右両名訴訟代理人

木村憲正

主文

被上告人長崎生コンクリート株式会社に対する本件上告を棄却し、被上告人大山秀義に対する本件上告を却下する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人塩塚節夫の上告理由第一について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する事実認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第二について

原審が適法に確定したところによれば、(1) 上告人と被上告人大山秀義(以下「被上告人大山」という。)は、昭和五五年八月五日午後三時ころ、被上告会社の生コンを運搬する作業に従事中、被上告人大山が上告人に対し「おいなんで積まんとや」といつたのに対し上告人が「無線の入つて積むなと言われとつとさ」と応答したことから右問答が繰り返されるという些細なことから口論となり、被上告人大山が上告人に対し暴力を加えるような素振りをしたので上告人は「わが用があるんやつたら、唐八景でもどこでもゆかんか」といつたところ、被上告人大山は、上告人が力による解決を挑んだものと思い込み、これに応ずべくその日の勤務を終えて帰宅する上告人の後を追つたが、途中で上告人を見失つた、(2) 被上告人大山は、翌八月六日午前八時ころ、被上告会社の更衣室において上告人を見るや「わいどこに逃げとつた、駅で待つとつたのに」といい、これに対し、上告人が「わいは大田尾に行つたとぞ、度胸もないくせに」と答えたところ、被上告人大山は激昂して上告人に対して原判決の暴行を加えた、というのである。そして原審は、右事実関係に基づき、本件暴行前日の被上告人大山及び上告人両名の口論が、被上告会社の事業の執行行為を契機として発生したものであり、本件暴行直前における被上告人大山と上告人との言葉のやりとりも前日の口論にかかわり合いがあると認められるが、本件暴行直前の口論の内容は被上告会社の業務にかかわることではなく、前日の喧嘩闘争が回避されたことにつき互に度胸がない趣旨のことをいつて嘲笑し合い、そのため被上告人大山が上告人の言辞に激昂して本件暴行に及んだものであり、また、本件暴行に至つた経緯は、前日の口論が直ちに喧嘩闘争へ移行することなく、当日いつたん終つており、翌日になされた被上告人大山の本件暴行は、必ずしも前日の事業執行行為に端を発した口論から自然の勢いで発展したものではなく、しかも右前日の口論と本件暴行とは時間的にも場所的にもかなりのへだたりがあることなどの事情が窺われ、これらの事情にかんがみれば、被上告人大山の上告人に対する本件暴行は被上告会社の事業の執行と密接な関連を有するものと認めることはできず、被上告人大山の本件暴行は同被上告人が被上告会社の事業の執行につきなされたものということはできない、として被上告会社の民法七一五条一項に基づく使用者責任を否定したものである。原審の右認定判断は、前記事実関係に照らし正当として是認することができ、所論引用の判例は本件と事案を異にし、本件に適切ではない。論旨は、採用することができない。

なお、右上告理由書には、原判決中の上告人の被上告人大山に対する請求に関する部分に対する不服理由と認められるものの記載がなく、右部分については、結局、上告人は上告の理由を記載した書面を提出しないものというべきである。

よつて、原判決中、上告人の、被上告会社に対する請求に関する部分についての本件上告を棄却し、被上告人大山に対する請求に関する部分についての本件上告を却下することとし、民訴法四〇一条、三九九条ノ三、三九九条、三九八条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(中村治朗 藤﨑萬里 谷口正孝 和田誠一)

上告代理人塩塚節夫の上告理由

原判決には、理由の不備あるいは判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

第一 原判決は、被控訴人大山の暴行前日の経過につき「前日の口論は、控訴人がこれを避けて帰宅したため喧嘩斗争に至らずに終つた」と認定している。この部分の記述は第一審判決の「当日の喧嘩は、原告が積極的に回避したことによつて終つた」という記述を一部修正しているのであるが、修正したために文意はむしろ不明確となつている。「喧嘩」を「口論」としたことにも問題はあるが、その点は一応措き「喧嘩斗争に至らずに」との文言を挿入したのはかなり問題がある。原判決の摘示する右の事実は、当日の暴行と前日の職務に端を発した口論との関連性を否定するための間接事実として記述されたものとすれば、むしろ第一審判決の如く「前日の喧嘩はここで終つた」と端的に記述するほうが明確であり、合理的でもある。原判決の「喧嘩斗争に至らずに終つた」との記述が、「単に口論にとどまり暴行にまで至らなかつた」という趣旨に理解すべきものとすれば、なぜそのような事実が当日の暴行と前日の口論(職務執行に端を発した口論)との関連性を切断する重要な間接事実となるのか何人も理解に苦しむであろう。これは論理矛盾であり、理由の不備といわなければならない。またこれを「前日の口論はここで終つた」との趣旨に解すべきものとすれば、それは明らかな事実誤認である。前日喧嘩斗争(原判決はこの言葉を暴行と同義に解しているように思われる)に至らなかつたのは控訴人がこれを避けたためであるとしても、それによつて両者の「紛争状態」が一時的にせよ「収つた」ということはないのである。原判決の「口論は終つた」との表現が「いい合い」は終つたとの意であるとすれば、それは当然のことを述べたにすぎず無意味である。両者の紛争状態は(一旦は)収つたとの趣旨だとすれば、そのような認識は経験則に反している。控訴人のほうは喧嘩斗争を避けたとしても、被控訴人がそれによつて喧嘩斗争の意思を放棄したと認められるような事実は何もないのである。「相手がやめた以上、こつちもやめる気になるのが当然だ」というのは事実認定の問題ではなく倫理的判断にすぎない。一般には、相手が避ければ「逃げた」と思い図に乗つてますます攻撃に出るという現象も通常しばしば見られるところであり、むしろ常識というべきである。原判決が「前日の争いは一旦は収つた」と認定したものとすれば、それは重大な事実誤認である。

第二 原判決は、法令の解釈・適用に当つて判例に違背しており、右法令違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

(一) 判例は被用者の行為が取引行為である場合について、いわゆる外形標準説を採用していることは周知のとおりである。被用者の行為が事実行為である場合についても、判例は行為の動機、場所、時間等が職務と関連性がある場合には「事業の執行中」に限らず広く「事業との関連性」を認めて使用者の責任を肯定する立場を採つている。

イ 最高裁昭和四四・一一・一八第三小法廷判決では

水道管敷設工事中、甲が作業に使用するため乙に「鋸を貸してくれ」と声をかけたところ、乙が鋸を打げてよこしたことから口論となり、甲が乙に対して暴力を加えた事案で、判決は「事業の執行行為を契機とし、これと密接な関連を有すると認められる行為によつて加えた」として事業の執行につき加えた損害と認定した。

ロ 東京地裁昭和四九・三・二七判決では

甲と乙とは妻同士が姉妹の関係にあり、同一会社に勤務していたところ、乙は甲が勤務中酒気を帯びているものと判断し甲の勤務態度に憤慨して暴行に及んだ事案において、判決は「右傷害が乙の個人的、家族的感情の昂りによつて生じたものであつても、右所為が甲の勤務態度を縁由として、時間的には乙の事業執行中に、場所的にも事業執行の現場でなされた」として使用者責任を肯定した。

ハ 福岡高裁昭和五一・三・三〇判決では

甲と乙とは同一職場で働いていたところ、乙は、甲が乙よりも先にこの職場で働いており、乙に対してかねてから先輩風を吹かせ、乙の女友達を中傷する等の言動があつたことから甲に反感を抱いていたところ、かねて職場内での飲酒は禁止されていたのに乙が客に勧められて酒を飲み、同僚バーテンに酒をねだつていたところ、甲より「新米のくせに酒に酔つて生意気だ」と悪態をつかれたことから乙の怒りが一気に爆発し、店内より庖丁を持出して甲を殺害した事案で、判決は「乙が職務中に飲酒し甲から注意されたことを契機として、業務上使用していた庖丁を使用して殺害した」として業務執行との密接な関連性を認定した。

ニ 福岡地裁小倉支部昭和五五・一・二九判決では

甲と乙とは船長と機関長であつたところ、航行中にエンジン・クラッチの作動状態が不良であつたことをめぐり口論となり、乙が甲に暴行し、甲も反撃して喧嘩斗争となつた。しかし一旦喧嘩斗争を中断して下船したが、会社事務所において再び口論喧嘩となり、甲が手拳で乙の頭部を殴つたところ、乙は鉄製灰皿で甲の頭部を殴り傷害を負わせたという事案で、判決は「業務に従事中、業務に関連した事柄をめぐり船舶内にひきつづいて会社事務所内で喧嘩斗争となつた挙句……傷害を負わせた」として職務との関連性を認定した。

(二) ところで原判決は、暴行日前日の口論が被控訴会社の職務執行を契機として発生したものであり、本件暴行直前における被控訴人大山と控訴人との言葉のやりとりも前日の口論にかかわりがあることは否めないとしながら、本件暴行が職務の執行につきなされたものと認められない理由として

イ 前日の口論は控訴人がこれを避けて帰宅したため喧嘩闘争に至らずに終つたものであること。

ロ 本件暴行直前の口論の内容は被控訴会社の職務にかかわることではなくて、前日の喧嘩斗争が回避されたことにつき、お互が度胸がない趣旨のことを言つて嘲笑しあい、被控訴人大山が控訴人の言辞に激昂したことによること。

ハ そのように前日の職務執行に端を発した口論が自然の勢いで本件暴行に至つたものではなく、しかも右口論と本件の暴行とは時間的にも場所的にもかなりのへだたりがあること。

の三点を摘示している。

まずイ、の点については、原判決のこの記述が理由の不備かあるいは事実誤認かのいずれかであることについては前述した。両者の紛争状態は前日の結末によつては終らなかつたのであり、このような場合紛争はむしろ翌日にまで持越されるであろうと推測するのが経験則である。

ロ、の点は、被控訴人が暴行の挙に出た直接の契機について述べているのであるが、このときの「いい合い」はほんの一言か二言にすぎないのであり、それも前日の喧嘩口論が回避されたことについてのものであつたことは原判決も認定しているとおりである。しかもそれは「口論」というほどの内容もないのであり、前日とは別の喧嘩斗争の動機が新たに現われたわけでもない。原判決が摘示したロ、の事実はむしろ前日の口論との関連性を推測せしめるものであつても、その逆ではありえない。前記(一)のニ、の判決は、暴行の直前にも職務に関して行われた口論をむしかえした事実を職務関連性を肯定した理由の一つとして挙げているが、この場合とは逆に、暴行の直接のきつかけとなつた言葉のやりとりは直接職務に関連する内容そのものでなかつた場合に、このことから直ちに暴行と職務との関連性を否定する結論を導くの論理の飛躍がある(逆は必ずしも真ではない)原判決は判例の解釈適用を誤つたものであり、理由不備といわなければならない。

ハ、において、原判決は、職務執行に端を発した口論が、自然の勢いで暴行に至つたものではないと認定しているが、果してそうであろうか。そもそも「自然の勢いで暴行に至る」とはどのような状況を想定しているのか理解に苦しむところであるが、もし「加害者の異常な性格」の介在等を念頭に置いているとすればそれはおかしい。多かれ少かれ、暴行事件では加害者の「異常な性格」を伴うのが通常であるからである。「自然の勢い」を「通常人なら概ねそういう経過を辿るであろうような事実の流れ」といつた趣旨と考えているとすれば、そのような事実経過は職務関連性を判断するための必須の要件ではありえない。

前日職務執行に端を発してなされた口論と当日の暴行とは、時間的にも場所的にもかなりのへだたりがあるとの点については、原判決は前述(一)のロ、の判例を念頭に置いているものと思われるが、時間や場所のへだたりが問題になるのは、単にその量ではなく、その質でなければならないと考える。仮りに時間的には数日へだたりがあつたとしても、暴行が前日の口論のみを動機として行われたのであれば、職務との関連性を肯定しても一向差支えはないであろう。場所的へだたりについても全く同様である。前記(一)のロ、の判例が摘示しているように時間的、場所的へだたりがないという事実は、職務にかかわる口論と暴行との関連性を肯定するための重要な間接事実となるが、逆に時間的、場所的へだたりがあるということは必ずしも関連性を否定する要素とはなりえないのである。ここでも原判決は判例の解釈および論理の適用を誤り、理由不備の違法を犯している。

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